HOME > アヤ経歴

Year Age Remarks
1919(T8) 0 4/22香川県綾歌郡善通寺町で出生。 父山本義夫(後、母の家継ぎ松尾義夫) 母キクの長女。
1924(T13) 5 父は騎兵隊付陸軍獣医中尉で善通寺境内近くの官舎に暮らし、5歳で北海道旭川へ。小学校は3回転校。
1934(S9) 15 北原白秋主宰の「多磨」の創刊を知る。
1935(S10) 16 啄木の歌の好きな国語教師に刺激され、日記の端に歌らしいものを書きとめたのが作歌のはじめ、札幌高等女学校(現北高校)。
1937(S12) 18 3月東京府立第六高等女学校卒業(現都立三田高校) 9/11三木七郎(27)と結婚。
1938(S13) 19 6月[多磨」入会、7月号に作品載る。本屋の立ち読みで白秋門下の宮柊二、野村清、鈴木英夫各氏を知る。今村寛氏に伴われ当時下北沢の下宿「すみれ館」を宿にしていた宮柊二氏に教えを乞いに。
1940(S15) 21 長男(茂)誕生、 夏に夫召集されたが胸部疾患で即日帰郷。
1944(S19) 25 長女(紀子) 誕生  出産2週後から防空壕に入る。
1946(S21) 27 「一叢会」宮氏中心の勉強会に参加 あしかけ3年続く。 今村寛、中山礼治、白鳥芳郎、葛原繁、滝口英子等多磨の先輩のほか、草柳 繁一、山田 草平の各氏の面々。
1947(S22) 28 12月初旬 モスコーの東南200マイル マルシェンスクの捕虜収容所に父の生存するを知らされる。 この年から17年間を第一歌集に。戦争中中断の作歌再開、以後宮氏に師事。生活のため母キクは渋谷代官山の和敬クラブに移り住み板前で魚河岸に行く。
1948(S23) 29 7/6 父還る。
1949(S24) 30 ”泥の会”結成に参加.。岡部桂一郎、金子一秋、葛原繁各氏と共に会報誌出す、 翌年片山貞美、山崎方代、伊藤麟、深作光貞各氏参加 泥の発刊は1958-1964まで10号
1950(S25) 31 4月 国学院大学入学,同窓に阿部正路、鳥海昭子、徳王道正各氏。12月下高井戸4-863の新居に移る。 授業のバスケットボールの練習中にアキレス腱を切る。
1952(S27) 33 多磨解散, 宮氏を中心とする「コスモス」創刊の発起人に加わる。
1953(S28) 34 3月 コスモス創刊に参加.。
1954(S29) 35 国学院大学文学部卒業 院友会長賞受賞、高校教師資格試験合格。
1955(S30) 36 国学院大学教育心理学研究室研究生(S31/3)、 生徒指導のため米国人C.A.ロジャ-スのカウンセリングを学びはじめる。
1956(S31) 37 都立志村高等学校教諭。(〜S33)
1958(S33) 38 都立代々木高等学校教諭 (〜1967/8) 東京都が新しい制度として午前、午後、夜間と三部の授業する都立定時制高校。
1962(S37) 43 父義夫 肝臓癌で死亡(73歳)。
1965(S40) 46 9月 歌集「地底の泉」出版 (第一歌集) 1947/4 - 1964/8迄の502首収めた
1966(S41) 47 第13回コスモス賞受賞  夫NHK定年退職 名大工学部教授で単身赴任。 
1967(S42) 48 長女結婚  7/〜東海銀行カウンセリングセンター カウンセラーとして名古屋に移る。(〜S59)
1968(S43) 49 〜1971京都大学教授 河合隼雄博士に教育分析を受け、同時に「箱庭療法」を研究。4月より教育分析(ユング派)を週1回受ける機会を得て、奈良西大寺の河合教授自宅まで3年間通う。
1971(S46) 52 9月夫S字状結腸癌手術うく。人口肛門免れた。12月退院後の回復を得て東尋坊へ夫と水仙を見に小旅行、帰路山崎家による。
1972(S47) 53 渡欧(9-11月)、チューリッヒユング研究所のDr. L. Frey, Dr. C.A.Meier両教授に師事、D.Kalff女史に「箱庭療法」で助言受く。フレイ女史に手紙で助言受ける、ホルスト神父の語学援助受け3年間続く。
1973(S48) 54 3月 夫 名大定年 4月より東京理科大へ アヤ東京ー名古屋往復生活続く
1975(S50) 56 渡欧(8-11月)、チューリッヒユング研究所のDr. L. Frey, Dr. C.A.Meier両教授に師事、D.Kalff女史に「箱庭療法」で助言受く。
1977(S52) 58 2月 「自己への道」刊行 4月より大正大学カクンセリング研究所非常勤講師
1981(S56) 62 3月「女性の心の謎」刊行。4月東京女子大学文理学部哲学科講師兼務 (非常勤)
1982(S57) 63 12月 「白蝋花」歌集刊行 (第二歌集本)  1964/9 - 1981/12 迄の1140首収めた
1984(S59) 65 4月 東海銀行本店カウンセリングセンターカウンセラー定年退職 5月”泥の会”35周年で解散。
1985(S60) 66 4/16 母キク 心不全で死亡 浴風会病院に入院後9日目  「宮柊二研究12、普遍としての宗教性」コスモス60年9月号書く。
1987(S62) 68 山王教育研究所講師。 9月金婚を自祝し、夫とハワイ旅行に行く。
1988(S63) 69 6月 「宮柊二の思想」(62年12月臨時増刊号)によりコスモス第10回評論賞授賞、8/25 国立癌センター入院(肛門管癌) 29手術、9/7 退院。大学の講師の職を退き山王教育研究所のスタッフとして箱庭療法、教育分析を含む心理・臨床に従事
1989(H1) 70 6月「夢七夜」第三歌集刊行 1986/5 - 1988/9迄の279首収めた。 コスモス選者(そのニ担当) 
1990(H2) 71 3月夫七郎 東京理科大で最終講義。「体験箱庭療法」共著を出版、高知へコスモスの支部歌会指導と心理療法セミナーで行く。
1991(H3) 72 台湾旅行、宮英子団長に同行する。
1993(H5) 74 8月 コスモス40周年大会に参加
1995(H7) 76 6/29 夫七郎死す。
1997(H9) 78 6月 「茜の座標」第四歌集刊行 1988/8 - 1991/1迄の256首収めた
2000(H12) 81 作歌はコスモス1月号の掲載が最後となる。
1997年ごろにアルツハイマーを発症し、現在に至る。
なお、わせだ心理臨床研修会講師、名古屋家庭裁判所調停委員、日本ユングクラブ会員の時期は不明のため未記入。
2010(H22) 90   3/28に他界。(誕生日前)墓誌

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