HOME > ウオーキング > 第12回 東京国際スリーデーマーチ

    サクラルート 小金井公園から 多摩湖、玉川上水方面を一周 40,km, 20km, 10km, 5km コース
    ケヤキルート 小金井公園から 国分寺、野川方面を一周 40,km, 20km, 10km, 5km コース
    花水木ルート 小金井公園から 井の頭、多摩川方面を一周 40,km, 20km, 10km, 5km コース

 

  5月3日(木)
 コース サクラルート20km (認定距離21km) に参加した。3日間延6万人程が毎年参加するとのこと。
   天気は快晴、東小金井駅から徒歩25分ぐらい離れた、スタートとゴールの会場となっている小金井公園内の
 いこいの広場に8時過ぎに到着、参加費2,000円払い、地図、ゼッケン、チェックカード等一式をもらった。
 3コース 好きに歩いて良いのだが、今日はサクラにした。
 9:05サクラスタート地点を出発し、暫くしてから自由歩行となり例によって途中で昼食とらずに全力歩行し、
 会場に12:45に戻ってきた。会場の芝生で準備してきた弁当を食べた。 時速は6km弱の計算になる。
 玉川上水沿いは,新緑が鮮やかだった。


スタート、ゴール会場の小金井公園

小金井公園

小金井公園「いこいの広場」で出発準備

小金井公園 ルート毎に整列

小金井公園中央ステージ

小金井公園 いよいよサクラルートスタート

サクラルートをスタートした。

途中の案内板。

ゴール、サクラルート

小金井公園

小金井公園

小金井公園にて昼食後ちゅうしょj

ゴールに続々到着
5月4日(金)
 コース ケヤキルート20km (認定距離24km) に参加。
   天気は今日も快晴、朝 9:08 ケヤキスタート地点を出発し、暫くしてから自由歩行となり昼食はとらずに
 給水&チェックポイントで10分ほど休憩を取ってバナナを食べただけで全力歩行し会場に13:35に戻ってきた。
 時速はやはり6km弱の計算になる。 


会場の小金井公園入口

出発前に会場で早々に。

ケヤキルートの出発

11.5kmの給水&チェックポイント

給水

チェックポイントそばの南武線踏切を渡る地点から

ポイント32 ; 40kmと20kmの
合流地点

谷保天満宮


国分寺

野川沿い

ゴールでIVVのシールを受取り

バスで武蔵小金井駅まででて南口商店街にある小金井の新名物「しあわせ地蔵」を撮った。
背中にリュックを背負ったウオーキング姿のお地蔵さん

台座に「しあわせは歩いてこない、だから歩いてゆくんだね」三百六十五歩のマーチで知られる市内在住の作詞家、星野哲郎氏が名付け親、この歌を歌った水前寺清子の名前も刻まれている。

5月5日(土)
 コース 花水木ルート20km (認定距離23km) に参加した。
   天気は今日も快晴、最終日スタートが早まって 8:40 花水木ルートスタート地点を出発した。今朝は会場に
 着いたらすぐ花水木コースに整列した。かなり前の方、自由歩行となってから先頭が見える位置につけた。
 とにかく先頭グループがどのくらいのスピードで歩くのか確かめたかった。先頭から100mで15番目ぐらいで
 暫く歩いたが、先頭の数人はやはり歩くのがはやい。差がつくのは結局信号で待ったときに先頭グループは
 先に渡っていってしまう。歩く早さもあるが、信号で差が広がっていくようだ。
 14.9kmのチェックポイントにほぼ予定通り11:07に到着、時速6km丁度の計算。今日は5分休んですぐ出発。
 そしてゴールに着いたのが12:35で23kmを3時間50で歩いたので丁度時速6km。多分25番目以内で到着した
 のではないか。
 


花水木ルートスタート直後
先頭はまだ50m?先

小金井公園内をゆく

成蹊大けやき並木をゆく

ポイント13; 成蹊大そば10kmとの分岐地点

吉祥寺駅前

井の頭公園内

井の頭公園 ひょうたん橋
神田川への最初の橋

井の頭公園駅

給水&チェックポイント 14.9km地点

給水&チェックポイント 

深大寺

深大寺

深大寺

野川沿い

野川沿い

野川沿い 鯉のぼり

野川沿い

途中のポイントで案内の役員さん?に厚かましくお願いしてシャッター押してもらった。

ついにゴール到着12:35
時速6kmで完歩


スタート、ゴールの「いこいの広場」の最終日

チェックカード
毎日完歩してIVVのシール
をもらい、他に美しい日本の歩きたくなる道500選、JML, オールジャパンウオーキングの各パスポートにスタンプを押してもらった。
朝日新聞によれば、初日19,109人、2日目21,875人、最終日18,189人 延べ参加者数は昨年を上まわる59、083人とのこと。
昭和6年の通船許の期限切れとともに幕をおろしました。  この画面の上へ