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「第三章」 2010年6月9日

 今年3月28日に母が他界しました。15年前には父が85歳で他界し、その後間もなく詠んだ短歌 「年齢の差だけ
お前は生きよと言いし夫、聞き捨てにして 過ぎし若き日」この頃から母は認知症(アルツハイマー)と共生しながらも
年齢の差9年をクリアーし、91歳直前まで15年も頑張って生きてくれました。

これは我が家の隣に母と一緒に住む妹の献身的な介護のお陰で、母は最後まで在宅で面倒をみてもらえて、とても
幸せな人だったと思っています。母とそして妹に、「永い間ご苦労さまでした。心からありがとう。」

墓誌に刻まれた短歌「わが夫が我に与えし一のもの朴念仁の大き安らぎ」のとおり今は父に暖かく迎えられ、その懐で
大いなる安らぎを感じていることでしょう。これからは二人笑顔でみんなを見守ってください。 (墓誌)

次の文章は本日フロントページから削除したものです。
「一昨年(平成20年)、脊柱管狭窄による坐骨神経痛が悪化、やむなくウォーキングとゴルフを中止しその年の
10月から中医の鍼灸と漢方薬での治療に専念した。
その結果ウォーキングは1年2ケ月、ゴルフは半年ぶりの復活(平成21年4月)となった。お世話になったのは
池袋の神山伝統文化医学研究所の神山先生です。
(中国名 屠 文毅 ト ブンキ)」


暫く座っていた後に立ち上がる時に体調や気候によって左尻と左足首あたりに痛みがよく出ます。
その強さもまちまちです。でもなんとか耐えながら好きなゴルフやウォーキングをはじめ普段の生活を送っております。
でもこのままだといつかまた強烈な痛みが出たまま消えずに歩けなくなる日が来るのが心配です。

「第二章」 2006年記述 (括弧内は2010年6月追記)
  (当初は本HPとは別に最初は短歌のみのHPを立ち上げ、母が他界直後まで併設していました。
そのHPのフロントページ画像

2003年9月に母の短歌をコンテンツにしてホームページを開設してから3年が経とうとしています。
その間に母の病状も一段と悪化し、今では字も読めない状態です。開設時に母に短歌を数首音読させて録音しておいて
本当に良かったと思っています。 
近親者のみの葬儀の式場で母が音読した短歌や好きだったショパンの曲を流していただき皆で母を偲びました。 
担当した葬儀社の方が当方の思いを十二分に理解、具現化してくれて、湿っぽくない、あたかも母の作品展の
ようなすばらしい飾りつけになり、妹が冗談に「多くの皆様にもお見せしたいくらい」と一同感激しました。)

昨年、急性の膀胱炎を患って3ケ月入院騒ぎがありましたが、退院後は室内でも車椅子生活となり、要介護度も
最高の5になって、隣家の私の妹がデイケアー ヘルパー派遣、移動車による入浴サービス等を活用しながら、
なんとか在宅で看護を続けてくれています。

この度、母の事務室のあちこちの引き出しに昔送られてきた手紙と写真があるのが判り、全部集めて整理して、
ホームページ用に主だったものをイメージスキャナーで読み取りました。各グループで一緒に写っている方々の
写真を"思い出"として載せたかったのですが、肖像権の問題で万一ご迷惑がかかると申し訳ないと考え、
できるだけ母の画像だけを切り取って載せました。

また、Web管理人の私の海外渡航記録と写真も、特に昔のものはいろいろ調べて思い出し、説明文もつけて、
これは脳の活性化にも少しは役立つかもしれないと整理してまとめました。自分史的な意味合いもあり、40年間分の
写真で、画像は仲間も一緒に写ったままで載せています。これは私個人の良き思い出として。

「第一章」 2003年記述
 以下は 開設時の「管理人のことば」です。

短歌は一種の日記といわれる。
母は16歳の時、啄木の歌の好きな国語教師に刺激され日記の端に歌らしいものを書きとめたのが作歌のはじめ
云々と書いていますが、19歳で「多磨」に入会し、その年(1938年)7月号に作品が掲載されてから、2000年の
「コスモス」1月号までざっと60年間日記を書き綴ってきたことになる。

  数年前にアルツハイマーを発症し、現在、要介護度3で、ベッドから自力では、なかなか立ち上がれず手をかすか、
つかまり立ち歩きがやっとで、トイレの場所すらわからない状態になっています。隣家で妹(家族)が母と同居していて、
全面的に面倒をみてくれており、この自分は車イスでの散歩補助か留守番程度でなにもしてやれていない。
毎週1回送迎車輌で近くのデイケアサービスに出かけ、他に午後2回、介護ヘルパーさんにきてもらって入浴等の
サービスを受けています。

  「三木先生、今どうしてる?」と心配してくれている人の話が時々妹の耳に入ってくるようです。このホームページ
では、昔をふりかえって、母が残してきた足跡を整理して、一人でも多くの方に伝えてみたいと考えています。
母は第四歌集まで発刊したが、最後の10年間分の作品(主としてコスモス掲載分)は歌集としては出来上がっていません。

  自分は1年前に62歳で退職し、家に居る生活となったが、それでも父親の影響をうけてゴルフだけは、人生の
一部となって30年あまり熱を入れてきているので、練習場とコースにはよく出かけています。ある日、コースの練習場
でドライバーを練習中に足場のマットが滑り、体勢を崩して前方の金物にシャフトをぶつけ、折損し、その衝撃で右肘も
痛めてしまい、当分クラブを握らず安静にせざるを得なくなった。
そんな時たまたま、パソコンの学校のチラシをみて最終的にウェブデザインとホームページ作成のコースに入ったが、
関連講座は早々に取り終え、いざ自分用のホームページを作成する段階でコンテンツを何にするか決めかねていたとき、
偶然、短歌の悟桐 学氏のホームページに出合い、母親の短歌を取り上げてみようと決心した次第です。

  そんなことでデータ収集をしましたが、母には確認できる状態ではないので、ある部分は不正確な記述箇所が
あるかも知れません。その場合にはご指摘いただければ幸いです。